みっちゃん(ADHD)公開日記帳

ADHD社会人。日々悩んだり、迷ったり。紆余曲折しながら、発達障害と共に、仕事も私生活もより良く生きたい。

「障害受容なんてできるか」


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だいぶ時間が経ってしまったけれど、お題箱で「障害の受容」について、私の体験談を書いて欲しいというお声を頂いたので、書いてみる。

 

色々と思うところがあってね、どう書こうか考えていたら日が経ってしまったから、とりあえず見切り発車で書き始めることに🚌

 

【目次】

  1. 「私は障害なんかじゃない、悪くない」
  2. 「人と違う自分」を突き付けれた一年
  3. 白旗をあげ、藁をも掴む思いでの受診
  4. ADHDとは」「私とは」を模索する
  5. 今もなお、認めがたい焦燥感と隣合わせ
  6. それでもなお、私は私で生きていく

 

「私は障害なんかじゃない」

すんなり受け止められましたか?って聞かれることが多いけど「いいえ、全く」です。そもそも、この界隈には障害を疑って初診に至る人が少なくないけど、私はそうじゃない。

 

社会に出て、突拍子もなく仕事が出来なくて、見かねた上司から受診を勧められたのが発端だった。当時もうボロボロだったから素直に受診したものの、自分を客観視する判断力さえ残っていなくて。ただただ、この地獄から抜け出したい、助けてくれ…そんな思いでの受診だった。

 

【初診時に携帯に書き残していたメモ↓】


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で、受診して最初に付いた診断名は鬱病抗うつ薬やら何やらが処方された訳だけど、それ飲んだところで仕事できるようになる訳でもなければ、劇的に何かが変わる訳ではなく。

 

医者から受けた「新人期だからみんなそんなもんだよ~」という励ましを、認知歪みまくり被害的攻撃的思考満載な当時の私は、「私の辛さは伝わらなかった」と解釈し、通院すら無意味に思えてきてものの数ヵ月でボイコット(?)した。(今思えば、ここで信じて続けていればもっと早く状況は変わっていたのかも)

 

職場が悪い、上が悪い、環境が悪い。

悪いのは、私じゃない。

私は、こんなに必死にやっている。

誰も分かってくれない、助けてくれない。

 

一度掴んだ、障害受容に向けてのチャンスを、私は盛大に振り払った。

 

「人と違う自分」を突き付けられた

そんなこんなで結局、根本的な問題と向き合わぬまま、仕事を続けた。後から続々と新人が入ってきた。

 

そもそもとしてハードな職場環境だったこともあって、ドクターストップかかったりメンタルやられたりする人がたま~に出る職場ではあった。けど、自分の後から入った新人達は、悩みながらもそれなりに仕事をこなせていた。それを目の当たりにした。

 

「環境のせいだけじゃない」

 

伸び悩む自分と、

周りに適切に順応していく新人。

 

その溝の深さが日に日に増すのを感じながら、それらが環境要因だけでは説明しようのない事実であることを思い知った。逃げ道がなくなった。

 

最後の自己防衛カードを失った私は、どんどん攻撃的になり、周りから孤立した。自分の非を認めず、ミスや不手際を嘘をついてごまかしたり、そこに向き合う事から逃げた。

 

そんな働き方だから、周りにも見離され、ますます仕事は進まなくなるし、小さな摩擦やトラブルも増えた。嘘やごまかしで自衛するのさえ、とうに限界ラインを越えていた。自らが積み重ねてきた嘘やごまかしや、間違いをある時上司から指摘された。もう通常の業務をあなたにはまかせられない、と。

 

私は、何をやっているんだろうと思った。

 

やりたい事、憧れた仕事があって、大金をはたいて大学に入り、必死に勉強して資格を取って、やっと辿り着いた職場で。

 

私は誰一人の助けにもなれていなければ、むしろ誰にとってもお荷物で、邪魔で、必要とされているものも何もない。

 

「怒られないように」だけを念頭に働いて、信じて育ててくれた周りや上司まで裏切って、一体何をしているんだろう。

 

私がここにいるより、いない方がずっと良い。私がいなくなれば、ここに入りたい人の分の一枠が開くわけだし、私が意地でここに居座る必要なんて無い。みんなにとっても、それが良いんだろう。

 

今まで固く握っていた、

最後の一本をパッと手離した瞬間だった。

 

私は、皆と同じようにはできないんだ。

その事実が自分の中でようやく府に落ちた。

もう、全てを認めざるを得なかった。

 

私にとっての障害受容のスタートは、

初診日ではなくここだったように思う。


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上司が何人かいる場で、

「すみません。辞めさせて下さい。」

「私がここにいても迷惑をかけてしまいます。」

「このタイミングで辞めれば別の方が入れます。」

そんな事を話した。

 

人事に相談すると一度保留にされた後、後日直属の上司から「受診に同行したい」と提案された。

 

藁をも掴む思いでの受診

私はやっと、白旗を上げた。通院をしばらくボイコットしていた例の病院に、上司同行のもと再受診した。

 

もはやこの時期の記憶は曖昧で、何をどう話したかよく覚えていないのだけど、上司から「人が一時間で終わる仕事が五時間かかる」「すぐ嘘をつく」「当たり前に出来る事が出来ない」とか、ナイフで突き刺さるような事柄の数々が、主治医に伝達されていった。

 

そこで処方されたのが、コンサータだった。

 

他の身体状況の確認云々~みたいな名目で、診察後に採血があった。私はよく分からないけど、不安や悔しさや恥ずかしさや惨めさやら色んな感情がごちゃごちゃになって、採血の間ボロボロと泣いていた。

 

血を採られるのは、趣味が献血なくらい慣れていて微塵も抵抗は無いのだけど、採血した看護師さんが「血を採られるのが心底苦手な人」だと思ったのか天使のように優しくしてくれたのは覚えている。怖くて泣いている訳じゃないんだよ~と思いながらも、涙が止まらなかった。

 

午後からは出勤の予定でいたけど、みかねた上司から「今日は帰って良い」と指示され、病院から一人で帰った。やることもやりたい事もないので、「コンサータって何だ」って何となく調べてみた。

 

それが、自分とADHDとの最初の接点だった。

 

コンサータが処方されると言うことは、どうやら自分はADHDとして見立てられていると言うことらしい。え、何だそれ。どういうことだ…と調べ始めた。


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ADHD」「私とは」を模索する

ADHD、名前は何となく知っていた。「すわっていられない子供」みたいなやつだ。だけど私は、幼稚園時代も、小学校時代も座って話を聞けていたから違うだろう…と目にも留めなかったやつ。私はそれなんだろうか。

 

ひたすらに調べた。本屋に並ぶ「発達障害」の本を読み漁ったり、ネットで記事や当事者のブログを読み漁る。とある方のブログに、Twitterのつぶやきが引用されていた。Twitterでは、当事者であることを明かしながら、自らの声や対策を載せる人が多くいることを知った。

 

より深く調べるほど、自分との共通点が徐々にあぶり出された。同じ診断名でも様々なタイプがいて、傾向も色々だ。私は、一体どれなんだろう。どうすればそれが分かるんだろう。て言うかそもそも、私は直で診断名告げられていないんですけどどうすれば…

 

そんな矢先、部署異動が決まり(退職の話、結局有耶無耶にされた)異動先での配慮を検討するにあたって診断書が欲しいと人事から告げられた。主治医に頼み、文書料を支払い、診断書を手にした。主の診断名にはうつ病、従たる診断名として「注意欠如・多動性障害」と書かれていた。


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ここで府に落ちたのか?いやいや。ここまで「普通」のレールを辿って生きてきた訳で、プライドの塊みたいな性格も相まって簡単には納得できず。

 

そもそも問診しかしてないし、医師は何を根拠に診断したんだ?まあ診断名はともかくとして、何が出来て何が出来ないのか具体的な所が分からなくっちゃ、対策の仕様がないしどうしようもない。

 

発達検査を受けたい!

 

そう思うようになった。かかりつけの病院には心理士がおらず、検査を出来る体制ではないので主治医はあまり乗り気でなかったのだけど、私があまりに強く希望したので他院に紹介状を書いてくれた。

 

既に診断は降りていた訳なので、医療の一貫としてではなく「自分が自己特性を知り、特性と性格の線引きのヒントを得て、今後の対策を検討するため」という名目での検査実施となった。(もちろん、診断目的ではないので保険対象外で自費。一万五千円くらいかかった。けど、解説や説明はとても丁寧に頂けたので本当に感謝している)


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自分が今まで感じてきた違和感やアンバランスさを、心理士さんに紐解いて説明してもらった。勿論、困り事や悩みの全てを解説された訳ではないけれど、奥底で感じていたモヤモヤのいくつもを「本当それな!!!」という形で紐解いてもらえた。

 

ASDとしての特性は、診断を付けるレベルまでは今回の検査ではみられないが、ADHDとしての不注意、多動、衝動等の傾向ははっきりと見られる。きっと、この凸の部分がありながら、ここの凹の部分がこのように作用し、普段からこのような躓きが起こりがちなのでは…という具合に。

 

帰り道、胸の奥につっかえていた棒がすとんと外れたような気持ちになって、ポロポロと涙が止まらなかった。悲しい涙ではなく、やっとやっと、問題の根源が見つかった。それが第三者に認めてもらえた。私は、私に出来ることを一つずつやっていこう。そんな晴れやかな気持ちの涙だった。

 

その後、主治医にもWAISの結果を見せたら「見立てていたよりも、ディスクレパンシー(得意不得意の差)がずっと甚だしくて驚いている。この結果じゃあ、今まで大変だっただろうね。(検査を)受けて良かったね」との反応だった。

 

その後、異動先の職場でも自分のADHDを公表し、配慮も頂きながら、薬の調整や、自分の認識のズレや苦手と向き合う日々が始まった。

 

その後も沢山沢山失敗して、指摘され、落ち込んで、職場で泣いた日もあった。「ADHDノート」を作って、日付と、ミスした事や気付き、今後の対策をメモした。

 

障害受容に関する私のターニングポイントは、この時期だったように思う。周りから指摘を受けた日でもなければ、初診日でもなく、診断名を知った日でもない。

 

  • 「出来ない自分」をありのまま認めて
  • 「診断が付く現実」と正面から向き合い
  • そんな自分でもやれる事をやっていこう

 

と、まっさらに思えた、そんなタイミングだった。事の発端から、実に2年もの時間が経過していた。

 


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今もなお焦燥感と隣りあわせ

とは言え、全ての事をすんなり受入れられるようになった訳じゃない。数字も出て、書面も出て、これだけの動かぬ過去や事実があっても今もなお

 

「自分は本当に障害なんだろうか」

 

そんな風に悩む日は沢山ある。「障害であるかないか」を悩むと言うよりか、自分が障害であることで「この先も一生、この周りに伝わりにくい疲れや不器用さ、結果の出ない日常から抜けることは出来ないんだろうか」と言った孤独感と絶望感、と言った方が適切かもしれない。

 

何なら、同じ診断を持った人達の努力や才能にさえ自分は届かなくて「羨ましい」と感じたり、「結局、発達障害という診断名に逃げているだけで、人間性や性格の問題なんじゃないか」「甘えているだけなんじゃないか」そんな、周りや自分自身からの視線に押し潰されそうになる事も多々ある。

 

本当にこのまま働いていけるんだろうか。

結婚しても良いのだろうか。(したけど)

子供を生んでも良いのだろうか。

私は、私で良いのだろうか。

生きていても良いんだろうか。

 

不安で、不安でたまらなくなったりする。誰にも伝わらないようで、一人ぼっちな気がしてくる。そんなことはなくて、支えて励まそうとしてくれる人達がいるのも分かっている。分かっているけど、自らとの隔たりを感じてしまう自分の未熟さが、また悲しくなる。

 

本当は、悩んでいる訳ではなく

「そんなことないよ」

「あなたは頑張っているよ」

「一人じゃないよ」

そんな言葉と確証が、欲しいだけかもしれない。

だからこそ、そんな言葉を人にかけるのかもしれない。人に言うことで、本当は誰でもない自分を励ましたいだけなのかもしれない。

 

Twitterではよく「どうしたら前向きに生きられますか?」と聞かれるが、正直「知らねえ」としか言いようがなくて、障害受容しているのかについても、本当のところよく分からない。今現在、困ったり落ち込んだりしながらも前を向いて進みたいからこそ、嘘でも良いからまず前向き(風)な言葉をひねり出して並べる、そういった自己洗脳手段を実行しているに過ぎない。

 

長くツイ廃をやっていると「ADHD対策が一段落したからもうTwitterは卒業します」とか、「発達障害で良かった」なんてお声も見かける訳で、私は心底羨ましくて仕方ない。

 

今まで何度も、ADHDである自分を恨んできたし、今でも悩みは尽きないし、根底では障害である自分を完全に肯定しきれなくて捨てられないプライドがあるからそそ、こうやって「前向きに生きる自分」を演出し続けたいのかもしれない。正直、ADHDを辞められるなら、さっさと辞退したい。

 

障害を受け入れて前向きに生きたい自分

障害を認められなくて不安に負けそうな自分

 

どちらも本音であり、本心だ。発達障害は根本的に「治る」とは中々に言い難い部類の障害であるし、先天的に生まれもった脳特性に、後天的に名前(診断名)が告げられるという構造からして、身体障害なんかとは根本的な質の違いがある。そして他者からは見えにくい。何なら自分自身ですら、障害と性格の線引きが難しい。

 

誠実に、真面目に生きる人ほど、その受容が容易いものでないことを、私は身を持って感じている。

 

自分は障害でないかと悩むけれど、受診する勇気が湧かないその気持ち。子や家族が、障害でないかと疑念があるも、そうかと認められない揺れる気持ち。それらの重さ、複雑さ、一筋縄では行かないもどかしさ。

 

他人に行けと言われたから、診断書が出たから、「はいそうですか」と言えるほど簡単な物じゃない。私はそう思っている。


いろんな背景や思い、経過を辿って、その人、その家族にとってのベストな受容時期や形がそれぞれ絶対にある。






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それでもなお、私は私で生きる

まあそんな感じで、障害受容ってとても難しいし、どうあるべきかも、どこからが受容と言えるライン

なのかも正直まだよく分かりません~というのが結論。ごめんね。

 

ただ、今日はなんか前向きに行けたなとか、今日はなんか悲観的になってダメダメな自分だったなとか、

 

障害の受け入れに関しても、前を向いたり、後ろを向いたり、らせんを描きながらあっち行ったりこっち行ったりしながらとりあえず自分は自分で生きていけば良いと思うの。

 

障害があろうがなかろうが私は私だし、発達障害なんてあくまで自分の特性に名前を付けて医学的な傾向として括っただけの物であって、自分の一部でしかない。

 

私は他人と接するときも別に「ADHDの~」「ASDの~」「定型の~」なんてあえて分けたりしないし、そこはあくまで参考情報で、「目の前のこの人」として接するだけな訳で。自分に対しても、そういう見方が出来るようになれたらなと思っている。

 

「たまに後ろ向きになることがあっても、ムーンウォークのまま動いていれば多少前進できるからそれで良いよね!」って、いつしか聞いた、旧友の言葉が私は大好きだ。

 

完全に受容できなくたって、とりあえず生きていけば「私は私」「あなたはあなた」、それは変わらない。前向いたり、後ろ向いたりしながらやっていきましょう~🍵おしまい。




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