組織でどう働く? with発達障害
私は、発達障害を持ちながら、一般企業で働いている。大学を出てすぐ入社し、この春で7年目になる。順風満帆には行かなくて、悩みに悩んで、挫折して、嫌になって、周りを巻き込んで盛大にやらかし続けての「今」だ。
なので、誰かの参考なるなんて微塵も思っていないけど、ちょいちょい聞かれる事があって毎度お答えするのが面倒なので、ここに覚え書き。お暇な人は読んでね。
【目次】
- 診断前~直後の一般就労時代
- オープン就労時代
- クローズ就労時代
診断前~直後の、一般就労時代
この時期、正直覚えてないし思い出したくない。まだ気持ちがちょいと痛いし心の防衛反応が働くんだろうね。詳細は別記事に書いた(書いたっけ?)気がするから割愛するけど、普通に新卒で入社して、普通に働き始めたはずが
入社後3ヶ月頃からゴロゴロと坂を転げるように些細なミスやらかしが頻発して信頼を失って行った感じ。この界隈でありがちな「ザ・三ヶ月の壁!」と言ったやつなんだろうか。
「優秀な新人」と呼ばれていた私は、「トラブルメーカー」に見事降格。「この時期にここまで伸びない新人は始めて見た」とのご指摘と共に、受診と休職を勧められた。(すんなり受入れる事も出来ず一年ほどウダウダしたけど、それは障害受容の記事に書いたので割愛)
本来の仕事は任せられないと、私の業務は概ね回収され、雑務だけをまかされるようになった。むしろ私がいるせいで「上司が雑務を生まなければいけない」状況、何というお荷物感。
私の持っていた案件が、ただでさえ疲労困憊している先輩方や同僚に割り振られた。(あ~あの案件…)と、電話でのやり取りを聞いて申し訳なくなり、更にはその案件が別の人の手によりいともスムーズにさばかれていく様子を目の当たりにして(あ~私いらないじゃん…)と二重の落ち込んだ。
そんなこんなで、部署異動。まあ、左遷よね。「ここで上手くいかなかったら他に異動される場所無いからね」みたく人事に釘を刺され、私がいかに訳有り人間であるか、現上司から新上司へと、自分のいない場所で(当たり前だけど)あれこれと引継ぎがされた。
私は、就職当時から何も学ぶことのできないまま、ただ自己肯定感だけがズタズタのボロ雑巾みたいな状態で次の部署へ異動した。個人的には辞めますと申し出ていたのだけど、それはいつしか無かった事になっており、もう辞める方向に持っていく元気も気力も無かったので「ここから一日もはやく消えたい」そんな不純な気持ちで迎えた異動日だった。周りも色々と動いてくれていただろうに、今思えば申し訳ないね。
オープン就労時代
次の部署では、自分の障害や診断についてフルオープンで働いた。私の中では「リハビリさせて頂きながら働かせてもらった」ような、何とも恵まれてありがたい期間だった。あらゆる人の支えのお陰で、ボロ雑巾みたいだった私でも、何とか雑巾の形は維持できた(?)
事の発端は、新たな部署の所属長に、「診断云々についてみんなに伝えるか?」と打診されたこと。当時、私の異動は何らかの訳アリであることは誰の目から見ても明白で、語らずとも何かしら伝わってしまう訳で。もう失うものは何もない状態と言うか、「どうせもう私一回死んでるからな~」みたいな心境だった私は割りとすんなりカミングアウトを決意した。言わずにやり直すなんて出来ない、
私は「普通」じゃないけどそうは見られず失敗してきたから、それを予め伝えて、周りをイライラさせたり、業務上損失を出さないように手を打たないと。周りには迷惑だろうけど、もうなりふりかまっていられない。
そんな気持ちだった。私は、臨時職員も出席する社内会議?の最後にほんの少しだけ尺を頂き、自分の現状をカミングアウトした。
- 診断がついて服薬していること
- その為に人事から体制も配慮頂いたこと
- 自分はどんなことが苦手であるから
- そのために対策をしていくことは勿論、△△のように接してもらえるとありがたいこと
- 迷惑をかけてしまう分、自分の担当外の雑務であっても喜んで引き受けるつもりでいるので声をかけて欲しいこと
- カミングアウトした主旨としては、周りにイライラを与えてしまう事を極力防ぎたい思いと、業務上の過失を防ぎたい思いがある。
- 勉強しながら精一杯やっていきたいこと
そんな事を、自分の口でお伝えした。予め個条書きにしておき、2、3分ぐらいでわ~っと話した感じ。カミングアウトの直後は、私自身がボロ雑巾メンタルだったこともあり、周りもし~んとお通夜みたいな雰囲気になったw 消えたいwwww
結局、そのカミングアウトで何か大きく変わったかと言うとそんなことはなくて。多少、望む配慮として伝えた「フリーな場で具体的な指示が欲しい」というお願いを実行にうつして下さる天使のような方がいらした程度で、直接的具体的な配慮や体制検討については、直属の上司や所属長を中心に行われた。
- 周りに人がいる時は電話対応不要指示
- 接客等の態度(言葉のニュアンス)等について具体的な指摘をこまめに頂く
- 業務量の調整
- ダブルチェックの徹底
などなど。何というありがたき環境よ。その間、私はウェイス(発達検査)を受けたり、服薬量の調整云々を行いながら、自己対策を検討し始めた。Twitterを始めたのも確かこの時期。ADHDノートを作って失敗や今後の対策をメモしたり、指摘を受けた事をまとめたり。ポケットに入れるタイマーや、メモの取り方の検討などなどグッズの使い方を模索し始めたのもこの頃。
働き方が劇的に変わった訳ではなく、この頃もトライアンドエラーまみれで、「さっきの対応は失礼だから変えないと」とダイレクトに指摘を受け、落ち込んで職場でこっそり泣いたりしていた。
そんな日々を積み重ねた後、私は同じ所属で二度カミングアウトしている。年度が変わりメンバーが変わったのと、
同じく発達を疑われる先輩が問題になっており、参考に?的な意味合いでまた話して欲しい的要望が所属長からあったから。
再度、同じようなカミングアウトに加えて、今はここが課題でこんな対策をしていて~を少し具体的に説明し、日頃沢山沢山助けて頂いているお陰で今働けていることへの感謝を伝えた。
正直、二度目のカミングアウトの方が反響と言うか周りから反応があった。「みっちゃんさんはいつもメモを取ってる」「正直、障害があることなんて忘れていた(くらい、普通に働いている)」とか、実は自分の子供が発達障害と診断され今後どうなっていくのか悩んでいた事を打ち明けてくれた方もいた。
それらの言葉は今も私の心にはっきりと残っていて、とても嬉しかったのを覚えている。私の働き方は完璧ではないし、今も課題は多いけれど、見てくれている人達がいると始めて実感できた瞬間だった。
カミングアウトは、伝える内容そのものよりも、そもそもの関係性の土台が有るか無いかに左右される部分が本当に大きて、
そもそもの良好な関係
+
自身の特性対策の模索(日頃からの姿勢)
+
カミングアウト
という形が一番、良い影響を生みやすいんじゃないかと感じた。最初の部署で、診断がついたその後も腫れ物扱いにしかならなかったのは、私自身が努力して変わろうとする気持ちもなければ、それらが周りに伝わって「そもそもの人対人としての関係性が崩壊していた」からだと思う。そんな中でのカミングアウトは意味がなければ目的も曖昧だし、打ち明けられた方も困る。
カミングアウトすれば良い、でもなく
「何のために」「誰に」「どう」伝え
日頃から自分は何をしているのか?
そこからどうなっていきたいのか?
その延長にあるのが、カミングアウトなだけ。
クローズ就労時代
そして今はというと、また別の部署で働いており、自分の診断についてはお偉いさんの一部の方々だけが知っている。
周りの方々はたぶん知らない。噂レベルで小耳に挟んでいる方々もいるかもだけど。業務内容も概ね周りと同様で、具体的な要望については所属長との面談で個別に伝えたり伝えなかったり叶ったり叶わなかったりw
診断については、特に伝える必要がないため伝えていないが、キャパオーバーになりがちなことや、三歩歩けば忘れてしまうことを周りに伝え、日々何かと助けてもらっている。まだまだ課題は山積みで、良い働き方が出来ているとは言えないし、ここにいて良いのか悩む毎日。答えは中々出ないし、きっとこれからもずっと悩むんだと思う。周りへの感謝だけは忘れずに、働いていきたい。おわり。