カミングアウト失敗談【後日談3】
さてさて、
ここまで彼へのカミングアウトについて
今までの経過やら後日談やらを書いてきたけど
いよいよ完結編です。
◆その後、3年経っての今について
◆カミングアウトのコツと本質について
を書いていく。
その後、3年経っての今
結局のところ彼からの理解は得られたのか?
結論から言うなれば「得られてない」。けど
私と彼との関係性はかなり変わったし、
障害に対する捉え方、私も彼もこの3年で
色々と変化したのは間違いない。
【とあるイベントでのエピソード】
先日、とある方からお話を頂いて、「ヒューマンライブラリー」というイベントで、発達障害の当事者としてお話させて頂くことになった。
珍しく彼が「みっちゃん話すなら俺も行こうかな」と言ってくれたので、いいよ~おいで~くらいの軽いノリで、彼も一参加者として来てくれる事に。
私は既に彼に障害云々を理解させる事については「手放す」と決めていたから、単なる自分の経験と楽しみとして、来てくれる方々に何か一つ伝わる話ができればそれで良いと思って構成を練った。(冒頭の写真はその時のやつ)
準備段階でポロッと私が「何話そうかな~」と呟いた際、彼から意外な意見がポロポロと出てきた。
正直、驚いた。
彼は私の診断やら発達障害やらに微塵も興味が無いどころか、話題にすらしたくないもんだと勝手に思っていた。
そうじゃなかった。彼は彼なりに色々と知っていたし、自分なりの考えを持っていた。
元々だったのか、この3年で変わったのかは分からない。けど少なくとも診断そのものを全否定されている訳じゃない、ようやくそう思えた。
結局、イベントはあくまで「私 対 来てくれた人達」という構造を想定して、ありのままの思いや経験を伝えた。
「彼に分かって欲しい」という独りよがりな思いは横に置いて、ただまっさらに自分の今までと、今思うことを「一人の当事者であり、一人の社会人」としてありのままを話した。
そんなイベントだったのだけれど、意外と彼に響いたらしい。話の内容についてなのか、当日までの様子を見てなのか、弱味を見せられる姿勢についてなのかよく分からないけれど、
彼はその日の話を「良かった」と褒めてくれて、事あるごとに話題に挙げてくれる。(ご指摘もあったけどね。話しながら資料ベタベタ触りすぎ…とか)
彼と私の間にある唯一の溝だった
「診断」というカードがパタンと倒れて
まさかの繋ぎ役になってくれた。
カミングアウトについての持論
まあこう文章で書くと
「はいはいそうっすね良かったっすねー」
ぐらい平べったい話だけど、
現実的には3年もの月日が流れている。
何度も何度も、嫌になったり悲しくなったり
障害に理解あるパートナーがいる人達を
心底羨ましく思った。
何を言っても伝わらない相手と本当にこの先
やっていけるのかと何度も不安になった。
けど、
それでもって彼が全面的に変わった訳ではなく
結局のところ変わったのは【自分の認知】
じゃないかと思う。
カミングアウトの本質は
「自分の思い描く反応を相手に求める事」
なんかじゃない。
「私は私」という相手との境界線を引いた上で
自分自身を開示して、その後の反応や動き方は
目の前の相手に委ねること、任せること、
その上でやるべき事を地道に淡々と続けること。
そういう事なんじゃないかと。
そうあるべきだからそうなんじゃなくて、
そんなスタンスでいるのが一番 楽 だから。
それでも多少「分かって欲しい」と思うのが
人間であって、厄介な女心。そんな時は、
まず自分から歩み寄る
のが先であって、まず自分から
得体の知れない「定型発達」を
理解しようと努めてみる、
相手の期待や要求を受け入れてみる。
スタートラインに立てるのは その先 。
今もなお、全てを互いに理解しきれている訳ではないけれど、そもそも他人に100%の理解を求めることがおかしい。人間だもの、他人だもの、
経験したことの無いものは分からないし、
理解もできない。
だからさ、理解し合えない前提で
ちゃんと言葉にしたり、共有したり、
そういった工夫を続けていく事が大事よね。
全てを分かってくれる王子様や理想郷!を
探さなくても、理解し合えない他人と折りあい付けてやっていく術は必ずある。し、
この世はパラドックスみたいなもんで
なんでかどうしてか
「手放した後でようやく手に入る」物事が本当に多い。北風と太陽、みたいなやつね。
理解しろ理解しろ理解しろって、それしか見えてないまま力んでいるうちは誰も寄ってこないけど、
色んな物を思いきってリリースして身軽になると、目を向けてくれる人達は実は必ず存在する。
相手の認知をねじ伏せる為のカミングアウトではなくて、ほんの少しの「がんばるけどお手柔らかにおねがいしますね~」表明を添えて【自分自身がよりまっさらに軽やかに生きていく】ためのカミングアウト。
周りが変わるや否やは、
おまけみたいなもん🍬
大失敗と挫折を経て、
今だからこそ私はそう思う。
皆様は、どう思いますか?