みっちゃん(ADHD)公開日記帳

ADHD社会人。日々悩んだり、迷ったり。紆余曲折しながら、発達障害と共に、仕事も私生活もより良く生きたい。

「強いられた家族から選ぶ家族へ」

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この記事で何を書いていくかと言うと、

昔から関係が悪かった家族と

折り合いが付くようになった

私自身の体験談と、その考察について。

 

結論から言うなれば

強いられた家族だったのが選ぶ家族

関係性が変化したから、と言ったところ。

 

「何のこっちゃ」って思ったあなた、

とりあえず焦らず読み進めて欲しい。

 

ざっくり目次はこんな感じ。↓

  1. 「家族を大切に」論が大嫌い
  2. 「強いられた家族」だと息苦しい
  3. 「選ぶ家族」になるとラクになる

 

「家族を大切に」論が大嫌い

先に言う。

この手の綺麗事めいた話が、

私は大大大嫌いだ。

大切にされてこなかった相手に対して

大切な扱いが出来るほど私は善人じゃない。

 

「親の大切さは亡くなってから気付く」

「どんな親でも親は親」

「出産だけでそれは命懸けの愛」

「口五月蠅さも含めて親の愛情」

 

いやいや、知らんがな。

そもそも子を作る決断をしたのは親達であって

感謝しなければいけない義理を

生まれた瞬間に背負わされる圧力なんぞ

意味が分からない。感謝するかしないか、

大切にするかしないかのジャッジは私がする。

強いられた感謝なんぞ、まっぴらごめんだ。

 

隣の美樹ちゃんママ(仮名)みたいに

穏やかで大人で落ち着いていて家事もぬかりない

親であれば真っ直ぐに感謝できたかもしれないけど

うちは違う。

 

親は子を愛して当たり前、

それを受け取れない子は未熟だ、

みたいな風潮があふれているけど

 

今の世の中は「大人になりきれなかった親」

だってあふれるほど存在していて

親の未熟さのしわ寄せが、

子に向いてしまう家庭がわんさかある。

 

親と違って子には捌け口が無い。

機能不全家族の中で親のサンドバックにされ、

自尊心や他者への信頼感が育たぬまま

「表面上だけ」賢くて良い子になる。

(それでも子は、親に気に入られたいからね。)

 

「内面的には」マグマの如く煮えたぎった

憎悪間とコンプレックスを抱え持った子は

やがてアダルトチルドレン化したまま大人になり

その足枷を引きずったまま人間関係を築いていく。

 

もし、この記事を読んでいるあなたが

親との関係に息苦しさを感じているならば

私はその勇姿を心から褒め称えたい。

閉鎖的な家庭環境の中で、

あなたはよく頑張った。頑張っている。

 

もう一人で抱えなくて良いし、

辛かった思い、悔しかった思い、苦しかった思い、

それらを否定する必要なんてないし

 

無理して親に感謝する必要もないし、

自分に嘘をついて綺麗事で蓋する必要もない。

まず、生き抜いたあなた自身を認めて

抱き締めてあげて欲しい。

 

よく頑張りました。えらいよ!!!

 

と言う訳で、この記事は決して

「反吐出るような過去に蓋して親に感謝せよ」

とかそういう事が主旨ではない事を

前提としてココに置いておきます。ぺこり。

 

あと、不幸マウンティングでもないからね。

辛さとか大変さって、

人と比較できる物じゃないから。

自分が一番大変だったとか思わないし、

その人が大変と思えば、みんな大変よ。


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「強いられた家族」だと息苦しい

ふと、親や家族の

「何がそんなに嫌だったんだろう」と考えた。

 

先に結論から述べると「選択肢が無い」のが

とにかく嫌だった、と言うのがある。

 

この「選択肢が無い」とは、

決定権や主導権が完全に親にあって且つ

自分は他の親を選ぶことが出来ない状態のこと。

 

幼少期の嫌悪エピソードをあげれば

キリがないけど、あらゆるエピソードに共通して

言えるのはこれだったように思う。

 

自分がどう反抗しようが反論しようが、

社会的に「保護者」として位置付けられているのは

親であって、自分じゃない。

 

どれだけ自分が

「それは間違っている」「理不尽だ」と思っても

親の言うことは絶対だし、異論も通らない。

 

100歩譲って異議申し立てが出来たとして

自分には経済力がない。家を出るにも、

やりたい事をやるにもお金が必要なんだけど

それを叶える為には親の助けがどうやっても

必要になるのが現実で、ああ悲しきかな。

 

隣の芝は青く見えるとはよく言ったもので、

周りの「普通の」親に育てられている同級生が

心底羨ましく思ったりもした。

 

「普通の」親は夜中何時間も

ヒステリックに大声をあげたりしないし、

鍋を床に叩きつけて粉々にしたりしないし、

幻覚妄想が見えて自分達を監禁したりしないし、

 

突如仕事を辞めてくることもなければ、

宗教を強制して君が代を歌わせてくれなかったり、

日曜の部活や行事参加を禁止することもない。

「黙って金だけ入れてれば良いんだ!」と、

我が子を怒鳴りつけることもきっとない。

 

でも、親は取り換えられない。

私が好きで選んだんじゃないのに。

 

これが、私が感じていた

「強いられた家族」の息苦しさ

それが、嫌だったんだと思う。

 

最も、それでいて心の奥底では

親との関わりを望んでいた訳で。

何かと自分も親を理由にしたり、

親に文句垂れたり、わーわー言いながら

首突っ込みにいっていたような気はする。

 

「私が何とかしなきゃ」みたいなのは建前で

何だかんだ共依存関係と言うか、

嫌々言いながら親離れできなかったんだろうね。

 

 

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「選ぶ家族」になるとラクになる

 

ここからは「皆こうすべき」という一般論ではなく

あくまで「私はこうだった」という体験談。

 

結論から言うと、家族との関わり方のスタンスを

自ら選べるようになると劇的にラクになった。

 

昔と比べて、

  1. 心の距離の取り方
  2. 物理的距離の取り方

この2つが変化したところが大きい。

 

自分が精神的・社会的に親に寄り掛かる

必要性が低くなってきたことで、

お互いの関係性のバランスが変わり

自分自身が余裕を持って親と関われるように

なったことが要因だと思う。

(親自体はあんまり変わってないけどね)

 

 

 

精神的自立と言うか、

心の距離を置けるようになった一つの要因として

自分が発達障害の診断を受けたことがある。

 

今まで親と自分は「縦にくっついている関係」

で、先述した通り親は自分の舵取りとイコールの

関係だった訳だけれども、

診断を通じて自分のみならず、親を

「一人の人間として」捉えられるようになった。

 

平たく言うなら

「親も親なりに大変だった」という事実を、

自分自身味わった辛さとは別次元として

理解して認める事が出来るようになった感じ。

 

縦のくっつきを切り離して、

それぞれ別物として横並びに客観視

出来るようになったと言うか。(伝わる?)

 

大人になったけど大人になりきれない自分、

その要因や背景を真正面から受け入れたことで

同じように大人になりきれなかった親の気持ちに

寄り添えるようになったからじゃないかと。

 

 

もう一つの、物理的距離に関しては単純な話で。

家を出て、関わりの時間を大幅に減らした事で、

たまに会う際の時間は比較的穏やかに

過ごせるようになるなど互いに余裕が出来た

部分が大きい。

 

嫌なら、距離を置けば良い。

ただそれだけの事だった。

 

何かと理由を付けてムリムリ言っていたけど

それは本当にムリと言うよりか、

その選択肢を選ぶ事でまた親からやいのやいの

言われるのが辛いからヤダ、と言うような

自分を守る為の予防線や言い訳に過ぎなかったし

 

結局のところ、自分が行動する上での

判断基準がいつも親側の言動に起因していた。

 

まあ、自分のようにさくっと家を出られない

事情持ちの人達も沢山いるのは承知だから、

あくまで個人的な話なんだけどね。

 

別に無理して年一帰省したり、

顔見せに行く必要はない。

傷付く事なくいられる距離感でいれば良い。

 

仮にそれでやいのやいの言われる事があっても

あくまでそれは親側の気持ちであるから

無理して応える必要はなくて、

無理なら無理、イヤならイヤと答える自由がある。

たとえ相手が親で、自分が子供でも。

 

そこをしっかり線引きして、

自分にとって心地良い範囲の中で親と関わる。

その範囲を自らの意志で選んで家族と関わる、

本当はただそれだけで良い。

 

たとえ相手は変えられなくても、

自分の心持ちや自分の行動については

自分で選ぶことが出来る。それを忘れないこと。

 

相手のせい相手のせい親のせい親のせい…

ってずっと思っていたけど、

親と自分の過去を受け入れて手離して、

適切な距離を保つようにしたら、あら不思議。

 

変われと頼んだ訳でもないのに

五、六年の歳月をかけて少しずつ

親自身も、自分との関係も

何だか丸くなってきた気がしないでもない。

 

何にせよ言えることは、この3つ。

  • 人は変えられないけど自分は変われる
  • 人は誰しも「関係性」の中で存在する
  • 大人になるとあらゆる事が選択できる

 

 

 

 

今まで自分が味わってきた過去は消えない。

苦い記憶も、許せない思いも消せる訳じゃない。

泣いても笑っても親は取り換えられないし、

返品も出来ない。

 

与えられたカードも、ゲーム履歴も、

リセットしたり塗り替える事は出来ないけれど

今後の展開の主導権は、自分が握る事が出来る。

 

 

やら結婚だ、やら親戚付き合いだのが

気になる年齢になってくると

この手の悩みは尽きないけれど、

 

強いられた家族に悩んでいた

あの頃の自分とは、もう違う。

そうするしかないからではなく、

「そうしたい方法で」家族と関わっていく。

 

少し風通しが良くなるだけで

ゲーム展開はガラリと変わる🃏

 

泣きたいとき、怒りをぶつけたいとき、

沢山沢山あったしこれからもそうだろうけど

私が選んだ家族と共になら、ほんの少しだけ

穏やかで優しい私でいられるかもしれない。

 

 

 

みんなみんな、消えてしまえば良いと願った

あの頃の家族はもういない。

 

消えてしまえば良いと願った

過去の自分の痛みも連れて、

選んだ家族へのほんの少しの感謝を添えて。

 

いつか、自分が家族を築く立場になった時

それらの経験が豊かな糧になったらいいな。

 

与えられたカードで、生きて行こう。

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