みっちゃん(ADHD)公開日記帳

ADHD社会人。日々悩んだり、迷ったり。紆余曲折しながら、発達障害と共に、仕事も私生活もより良く生きたい。

「ピクルス大売出し戦略!」


f:id:pino_27s:20191226212957j:image

ピクルスって知ってる?

マックのハンバーガーめくったときに

ちまっと乗っている緑色のアレ。

苦いような、酸味があるような、アレ。

今日はちょっと、ピクルスについての話。

 

 

 

「ピクルスなんていらな~い」

わたしが小さかった頃、

母と弟と私でよくマクドナルドに行った。

幼馴染の友達がいて、母同士も親しかった。

 

弟と私、友達はハッピーセット

母達は適当なセットと珈琲を頼んで

終わりのないお喋りを楽しむ間、

子供たちをプレイルームに放流する。

トンネルみたいな遊具があって、

靴脱いで遊ぶところね。

 

私達子供勢は“遊ぶこと”が目的だから

さっさと食事を終えてプレイルームヘと

走る、マックはそういう場所だった。

 

私はナゲットのセットをよく頼んだけど

弟はハンバーガーセットが好きだった。

そして決まってこう言う。

 

 

 

「ピクルスいらない~」

 

 

私が言うと思った?

違うよ。弟ね、弟。

 

弟は根っからの「食わず嫌い大王」で

嫌い(と思われるもの)は何があっても

口に入れたがらないし、

チャレンジもしない主義。

 

タコ焼きのタコが嫌いで、

わざわざほじくり出して食べるもんだから

「それじゃ“やきやき”だよ~」って

母や私に言われていたし

 

ケンタッキーの肉より衣が好きで、

衣だけはがしてむしゃむしゃ味わって

悲しく残された鶏の残骸…😇

みたいなエピソードがいくつかある。

 

 

もちろん、ピクルスもその一つ。

 

ハンバーガーの包み紙を開けるなりまず

最上段に乗っているパンズをひっくり返し

「いらない~」ってピクルスをつまんで

クレーンゲームのごとく移動する🏗️

 

 

私は、と言うと

「いらないなら食べる!」と言って

毎度毎度その捕獲して隅に寄せられた

ピクルスをむしゃむしゃと食べていた。

 

とりわけピクルスが

「大好き」という訳でもなかったけれど

残すのはなんかもったいないから、

という子供心なりの配慮だったのか、

単に根っからのケチだっただけなのか。

 

ピクルスから始まるランチタイム。

その後味は、あっという間に

ケチャップ付きのナゲットや、

オレンジジュースや、

プレイルームヘの高揚感にかき消されて

どんなだったのかもよく覚えていない。

 

「いらない」とつまみ出されるピクルス、

そんな光景がやんわりと記憶に残っている。

 

 

 

 

ピクルスみたいな半生

時系列を現代に戻す。

先日、有休をとって平日の朝から

カフェでモーニングを食べながらふと

そんな考えが頭に浮かんだりした。

 

 

別に、さぼっている訳じゃないし

真面目にやれる事は頑張ってきたし

まあトチる事もあったけど

盛大に❌がつくような躓きではなかった。

 

周りに合わせよう合わせようとしているのに

何となく周りから浮いてしまったり、

クセがあるとか言われたり、

いらないとつまみ出されてしまったり。

 

 

まるで、自分を消して

ちゃんとバーガーに馴染もうと

ケチャップを塗りたくられるピクルスみたい。

レタス入ってまっせ!!みたいな主張は無いし

人参のように彩り要因で用いられる事も無い、

ピーマンみたいな特徴的な苦味も無い。

決しておかずの中心にもなれないけど、

脇役を徹してバーガーの中に潜んで自分を消して

 

 

「周りの風味を損ねないように」

「邪魔しないように」

 

 

そんな思いで必死に擬態して息を潜めても

いらない、の一言でつまみ出されるし、

かろうじて口に入っても特にどう

記憶にとどまることもなく流れていく。

なんかなあ…という半生だった。

 

 

自分を変えたい!ピーマンになろう!と、

あれこれ試したり背伸びしたりもしてみたけど

やはりピクルスはピクルスだった。

 

苺になりたいとか贅沢言ってないし、

「ただただ普通に」食べてもらえたら

それで良いのに、それすら出来ない。

ケチャップにまみれて、息をひそめて、

いらないいらないってつまみ出されて

みんなにペコペコしていくしかないだなんて

 

何が楽しくて

ピクルスに生まれてしまったんだか。

そんな風に思ったりした。

 

 

どれだけ背伸びしても、

色んな物を塗りたくっても、

ピクルスはピクルスで

ピーマンにも胡瓜にも苺にもなれない。

どうしようもない。

 

 

 

 

ピクルスのニーズはどこにある?

 

そんな、ピクルスに共感するなど

意味不明さ満載な回想をかき消して、

慌ただしい現実世界へと戻る。

持ち帰ってきた仕事をして、作業をして、

あっと言う間に一日は進んで

昼も食べ忘れて夕方になった。

 

そろそろ何か食べようかなあ。

大通りを歩いていると、

ベローチェの看板が目に入った。

 

f:id:pino_27s:20191226222107j:image

 

 

お店に入ってメニューを見る。

暖かい飲み物と、何か食べたいなあ。

ホットドックが良いかな。どれが良いかな。

 

 

メニューをぐるぐると巡っていた視線が、

一つのメニューにとまった。

 

 

 

 

 


f:id:pino_27s:20191226222736j:image

「たっぷりピクルス」

 

 

 

 

あ、こんな所にピクルスがいた。

たまたまなのか、偶然なのか。

 

そういえばこの前もイベント帰りに

お腹空かせて入ったベローチェ

コレを食べたっけ。

 

主役は勿論ソーセージだけど、

細かく刻んだピクルスの食感が心地良くて

チーズだと何かくどい、って気分の時に

丁度良いんだよなあ。

 

そういえば、ベローチェ来るとき

何だかんだいつもこれ食べてるなあ。

 

マイナーな食材を全面に押してるのに、

期間限定じゃなくてレギュラーメニュー

なんだよなあ。意外と人気あるのかもね。

 

 

君はここで居場所を見つけられたんだね、

ちゃんとニーズはあるもんだね、

そんな風に思えてちょっとクスッとした。

 

 

 

ピクルスにも居場所がある

きっとピクルスみたいに

生きていけば良いんだと思う。

 

やっぱりピクルスはピクルスで、

煮ようが焼こうが違う何かにはなれないし

不特定多数の全員に好かれることはない。

 

20年前も、令和元年も、

ハッピーセットどストライク層に

たっぷりピクルスが受入れられはしないし、

皆がこぞってピクルスを買い求める時代は

この先もきっとこない。

 

 

けど、いつの時代にも

ちゃんとピクルスを好む誰かはいる訳で

それらが活きて必要とされる状況が

なくなることはない。

 

もちろん、世の中の流通市場から

全ての苺がとっぱらわれる事があれば、

ピクルス全滅よりも世への影響は

大きい気はするけれど、

 

世のどこかには必ず

たっぷりピクルスのかかった

ホットドックを頬張って

活力を得ている人達がいる。

 

まあ、マックという巨大市場がある以上

ケチャップにまみれてハンバーガーの

引き立て役に徹するのもまた一つの生き方で。

 

一部の層から相変わらず

つまみ出され続けてはいるけど、

ハンバーガーの中にさりげなく潜む

ピクルスの食感を好む誰かがいるからこそ

20年の時を超えてもなお、そこにある訳で。

 

 

 

いろんな存在があって良いし、

いろんな生き方があって良い。

 

 

 

擬態に徹して裏方のプロを目指すも良し、

ホットドック最前線で彩り役を極めるも良し。

 

苺も、ピーマンも、ピクルスも、

それぞれに強みと弱みがあって、

それぞれに適したニーズがある。

苺になれなくたって、良いじゃんね。

 

自分にとって一番の調理法を考えながら

今日も明日も、生きていく。

 

 


f:id:pino_27s:20191226225610j:image