強がりという名の甘え
強がったり憤ったりするのも一つの「甘え」なんだろうなあ。相手がどこからどう見てもかないっこない!!って敵なら戦意剥き出しにしたりはしないだろうし
ある意味「多少むすっとしててもあなたは私を根絶したりしないですよね」って、相手との関係性含めて信頼しているからこその裏返しなのかもしれない。
逆を言えば、そう言った感情はあれど相手にぶつけられない時ってのは「言ったら相手との関係にヒビが入るリスクがある」のを本能的に分かっている表れなのかも。
身内や近しい人こそそこが欠けてしまいがちなのは、この人なら何だかんだキャッチしてくれるはずだという根拠のない「甘え」が根底にあるから。小さな子供が、人目気にせず盛大に駄々をこねまくるのも、そのベースには「これだけやっても見捨てられはしない」関係性があってこそのもの。
ただ、どれだけ駄々をこねても最終的に手を引いてくれるのは地球上でも中々いない存在な訳で。甘えの上にあぐら書いていたら、ある日ふっとヒビが広がってバラバラになってしまうこともある。見た目には分からなくても、人の気持ちはそのくらい脆くて繊細だから。
近しい人こそ、無作為にボールぶつける前に深呼吸。まずは自分も体制を整えて、しっかり手を握って、相手の温度も確めて「手渡す」プロセスをぬかりなくやっていきたいね。
今日もいちにち、がんばっていきまっしょい