みっちゃん(ADHD)公開日記帳

ADHD社会人。日々悩んだり、迷ったり。紆余曲折しながら、発達障害と共に、仕事も私生活もより良く生きたい。

容姿コンプな私が出会った 素敵な女性の話

 

あなたは、自分の容姿が好き?

私は正直好きではなくて。昔からコンプレックスの塊みたいな感じ。そんな私が、とある素敵な女性にお会いして、ほんの少しだけ捉え方が転換した経験談

 


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≪目次≫

  1. ファンデを塗りたくった思春期
  2. 私が出会った、素敵な女性の話
  3. 「本当の美人」って、何だろう

 

ファンデを塗りたくった思春期

外見コンプレックス、あげればキリがないけど特に根深いのは「肌が綺麗でないこと」だった。

 

中学生頃から、治っては消え治っては消え…を繰り返すニキビ。肌がまっさらな状態である時期なんて、それから10年くらいほぼなかったような気がする。

 

今となっては、そんな周りは自分の肌なんて気にしてないし、中学高校ってそういう時期だからそんな悩みなさんな~って本気で思うけれど当時の私には死活問題だった。

 

何でだろうね。多分、根底にあるのは自己肯定感の低さとか、プライドの高さとか、劣等感とかそういった認知面だったように思うけど。

 

ありとあらゆる洗顔料やら薬やら試したけれど中々治らず。悩んでいたタイミングで、姉のいる友達から「ファンデ風に色付く、美容クリーム的な何か(?)」をもらったんだよね。相談してたとかではなく、家族ぐるみで仲良くて服とか雑貨とか気軽にあげたりする間柄だったから、その延長で。

 

試しに使ってみたら、これで少し隠せるかも…と気が紛れた。それが発端だった。クリーム的な何かを使い切ると、ドラッグストアで似たような商品を探し購入。中学生が化粧するほど荒れた学校じゃなかったし、周りや先生にバレないように…と付け方を研究しながら毎日使った。(誰も触れなかっただけでバレてた気がするけど)

 

いつしかそれなしでは過ごせなくなった

 

一度、何らかの用事で保健室に言ったとき、養護教諭に「若いのにそんなもの付けて!肌を殺してるのと同じだよ!」ってすごい勢いで指摘されて、そりゃあもう落ち込んだ。友人も一緒だったのもあって、恥ずかしいは情けないは格好悪いわ…

 

美人でいたかったとか、ちやほやされたかったとかそういう類いのアレではない。素顔が汚い自分を晒すのが恥ずかしかった。どうか誰も触れないでくれ…っていつも思ってた。

 

結局、すっぴんコンプレックスはその後も加速して、大学生になり化粧世代に突入すると拍車がかかった。周りにいるのが親しい友人だけの旅行でも、泊まりでも化粧が落とせなくて、布団に入り電気が消えてからこっそりメイク落としシートで化粧を落としたりしていた。

 

メンタル病みすぎ!w

 

勿論肌以外にも、自分の容姿で好きになれないところは沢山ある。生まれ持った眉の形やら、左右アンバランスな目の形、中学の時ぶつけて欠けた前歯(笑)、痩せても落ちない頬の肉、などなど…

 

まあ根本にあるのは生まれ持った造形や体質の問題ではなく「認知面の歪みや脆さ」なんだろうけどね。そこがベースにあるから、多少容姿が変わったところで、無いものねだりや、隣の芝は青く見える現象は永遠に続く。

 


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私が出会った、素敵な女性の話

 

「美人の真顔より、凡人の笑顔」みたいな言葉があるけど、いやいやそんな訳ないだろ~と、長年思っていた。コンプ人間はどうやったって、太刀打ちできないよねって。去年の6月、そんな概念を覆す出会いがあった。

 

彼女は勤め先の客人だった。

だらだら説明するの面倒だからとりあえず

当時のツイートを貼っとく↓


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結論から言うなら「顔立ちやスタイルは決して良い訳ではないけれど、めちゃめちゃ魅力的な人間性にじみ出た方とお会いして、衝撃を受けた」って感じ。

 

第一印象は「男性かな?女性かな?」といったところで、正直性別が分からなかった。髪はベリーショートで、化粧っ気がなくて、小さな目、低くも高くもない平均的な身長で、体型は少しふくよかな感じ。

 

美しいとかそうでないとかは主観的なものだとは思うけれど、おそらく「容姿だけ」で言うならば、一般社会的に述べられる「美人」の代名詞として用いられるような要素はほぼ無かった。

 

印象に残っているのはそこからで。

 

この方、私が説明している間は必ず手を止めて真っ直ぐに私の目を見る。その目の奥は真っ直ぐでとても綺麗だった。

 

ながら聞きではなくちゃんと聴いて、「分かりました」と表情や動作を付けて一つ一つに丁寧な反応があった。

 

当時の接客の内容として、仮に私に気に入られた所でその女性に何のメリットも無い。つまり利害関係の無い人間関係の中でなお、“人体人”の次元で誠実に対応してくれているのを感じた。

 

表情や、立ち振舞い、その人自身の雰囲気なんかをトータルして感じる「その人のオーラ」みたいなものってあると思うんだけど、

 

この人の“それ”は、単に可愛くて大事に育てられてきたからの“育ちの良さ”って感じとは少し違って。別に、とりわけ“所作が美しい”訳でもない。

 

時折見せる表情とか、間の取り方とか、何となくだけど今まで沢山辛いこと苦しいこと経験したからこそそこを乗り越えた強さ素直さ、しなやかさ、みたいな内面が伺えた気がした。(あくまで私の受けた印象なんだけどね)

 

勿論、佐々木希や橋本環奈みたいな容姿で生まれれば可愛いね可愛いね~と言われ大切にされて育つから、何となくひねくれる事なく真っ直ぐで健やかに育ちそうな気はするけれど。

残念ながら、世の人類がみな、そこのポジションを確保して生まれてくる訳ではないんだよね~

 

けれど、今目の前にいるこの女性はどうだろうか。きっと、この人の持つ素直さや誠実さは「生まれもったラッキーや才能」から派生したものじゃない。

 

きっと、この人の今まで生きてきた半生を、素敵な形で吸収し糧にしてきたからこそ、発せられる輝きで。その根底には、ハッピーや暖かさだけではない色々な感情がある。それらを含むからこその、強さであり、美しさだ。そんな印象を受けた。

 

その女性は最後に「どうも、ありがとうございました!」と、くしゃっとした最高の笑顔を見せて帰っていった。日本人にありがちな社交辞令スマイルより一歩格上の、屈託なく暖かい笑顔だった。

 

彼女がいなくなった客席にはどことなく余韻が残った気がして、「綺麗で、魅力的な人だったなあ」と私は思った。相貌失念を疑うくらい、人の顔を覚えられない私だけど、その女性のくしゃっとした笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。

 

きっと、当時一緒に働いていたスタッフで彼女のことを特に覚えている人はいないと思う。彼女の人としてのオーラや、内面に直接触れた私一人を除いては。

 

身なりを着飾った人や、生まれもった天然美人、スタイルの良い方にお会いする事も多々あれど、私はその女性を越えるインパクトのある女性を未だ見たことがない。「あれが本当の美人なんだ」と今でも思っている。

 


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「本当の美人」って、何だろう

 

人は【生まれもったカードで生きること】を強いられていて、残念ながら努力で届く領域とそうでない領域がある。

 

そしてそれらには「ここまで来れば合格」という明確なラインは存在せず、どこを目指すかは本人や各人の「主観」に委ねられる事がほとんどだ。

 

容姿に関しては、確実に「努力でカバーできる領域」がある。特に女性は、化粧やらダイエットやら服装やら整形やら、手間隙時間を費やせば際限なく上を目指せる。

 

ただし「際限がない」とはそういう事で。

 

永遠に上には上がいる。そして、ある程度自分が上り詰められる位置には現実的な限度がある。おそらく、私が1000万かけたところで沢尻エリカの容姿になれる事はない。

 

自分である程度の落とし所と言うか、合格ラインを見つけてあげなければ、いくら容姿がグレードアップしたところでどんどん不安になる。孤独になる。リアル「ヘルタースケルター」だ。それって幸せでもなければ、美人でも何でもない。ただの「美しさ依存症」だ。

 

過去の私はこれに限りなく近しいと思っていて、結局問題の根底にあったのは「自己肯定感の低さ」という認知面だ。承認欲求を満たすツールが「容姿」であっただけ。

 

 

対して、

私が出会った素敵な女性は【生まれ持たないカードを手に入れた】人なんだと思う。たとえ生まれ持ったカード(容姿)に恵まれなくても、自分の経験した痛みや孤独や理不尽な思いの数々は、適切な形で消化して転換できれば、その人の魅力として最強のカードに成り得る。

 

この「革命」とでも言うべき大転換は、

たとえ華やかなカードが与えられなかった凡人も、コツコツと意識や積み重ねを続ける事で間違いなく引き起こす事ができる。誰にでもチャンスはあるし、むしろ理不尽な痛みを味わってきた人ほどそのきっかけは多いのかもしれない。

 

 

“本当の美人”になるために重要なのは、

生まれもったカードの良し悪しじゃない。

「後天的に、いかに革命を起こせたか」だ。

 

 

事実、トップモデルになりたいのならある程度のカードか金かコネかが必要なんだろうけど、結婚して家庭を持ったり、慎ましい幸せを手にしているのは“革命を起こしてきた人”が圧倒的に多いような気がする。

 

 

未だに私は、自分の容姿が大嫌いだ。

 

すっぴんで、化粧をせず、カラコンもせず、髪ボサボサで鏡に映った自分の顔を見ると「いよいよアラサーだなあ…」といつも思うw

 

ただ、もう昔みたいにファンデーションを塗りたくって素顔を隠す必要はない。「本当の美人」になる方法をあの女性から教わったからだ。

 

今まで味わった劣等感、焦燥感、自己否定感、世の中の理不尽さ。それらをひっくり返して、いつか自分の強みと彩りに変えていけば良いんだ。いつか、あの女性のように。

 

 

そんな「小さな革命」を夢見ながら

私は今日もファンデーションを塗りたくる。

 

 

どんなに背伸びしても

佐々木希にはなれないけれど。

私の目標は、素朴でベリーショートの

くしゃっと笑う“あの女性”なのだから。

 

鏡に映った私は、

自分の素顔を見て泣いたあの日の自分より

「とても良い顔」をしている。

 

シワも、ニキビ跡も増えたけれど、

今の方が絶対に「良い顔」だ。

素敵に、年を重ねて行こうね💄

 


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