カミングアウト失敗談【考察】
カミングアウト失敗談、
今だから思うこと交えながら考察していく。
前記事読んで、
「分かる」とか「ウチも同じ」みたいな声を
頂いている中こんなこと書くのもアレかとは
思うけど書いちゃう。悪しからず。
あくまで主語は「私、一個人」ね。
何が失敗だったのか?
私がやってしまったカミングアウトには
大きな大きな落とし穴がある。
カミングアウトの仕方云々と言うよりかは、
当事の考え方その物が、もう大失敗してる。
何か…??
改めて後編記事を見返すと分かるんだけど、
彼側の視点や、彼に寄り添おうとする視点が
一切出てこない。全ての中心が「わたし」。
(お分かり頂けたであろうか…)
彼の発言には触れているけど、
あくまで私視点で発言を羅列しているだけで
耳にした瞬間「違うそうじゃない!」って
はね除けている。はなから聴く気は無い。
どういうことか?さらに掘り下げてみる。
分かりやすく言うなら、後編の記事で述べた
「私はこんな思いがあって知って欲しい~」
アレは全部、嘘…とまでは行かないけど
あくまで頭の本音に過ぎない。
頭の本音と、心の本音
私はプライド武装で大人になったかのような
認知歪みまくり人間なので、
「頭の本音」と「心の本音」が
乖離していることが往々にしてある。
頭の本音とは、
頭で理屈として理解はしていること、
こうあるべき、ありたいと意志レベルの
次元で思っていること、みたいなやつ。
※あくまで私なりの定義です。
心の本音とは、
頭の本音より深層心理レベルと言うか
より感情に近い「気持ち」的なところで
こうがいい!!!こうして欲しい!!!
って涌き出てくるアレ。(伝われ)
ポイントは「頭の本音と心の本音は、相反する事もあるし、完全一致しない場合が多い」と言うこと。プライド武装族は特に。
頭の本音としては、
・自分の障害理解を押し付けるべきでない事
・障害が全ての免罪符になる訳ではない事
・彼には彼の感じ方や価値観がある事 を、
理解した上で、二人でより良く生きていくために「障害特性をまず知ってもらっておくのがベター」という結論に辿りつき、その結果行動を起こした。これは紛れも無い事実。
問題はここからで、心の本音としては、
【「わたし」を受け入れ許容して欲しい!】
根底にある主訴はコレだったと思う。
自分が色々と不器用である事に不安やコンプレックスがあり、そんな中診断が付き不安は増すばかり。世の中から診断を出されるような私でも、この人は私と一緒にいてくれる?離れていかない?嫌いにならない?
「確かな確証が欲しい」
でもそれを全面に出してしまうと明らかなワガママなのは、頭で考えればすぐ分かる。そこであれこれ頭の本音と整合性を図った結果
一方的にわたしを受け入れろなんてワガママではなくあくまで「障害を理解して頂いて、二人とも足並み揃えてより良く生きる方針を考えましょ」って建前を掲げる方が、なんか綺麗な話になる。
私は冷静だ。思い付きじゃない。自分のためだけでなく、彼に余計なストレスを与えないためでもある。そうだそうだ。
と、自分内会議を繰り広げた末、
「これを伝えたい」事項を決定していた。
【障害理解】ってワードは利便性が高い。
「わたしを」という主語を一旦横に置き
いとも簡単に一般論の如く変換することで
「客観的に話してます」って顔が出来る。
私が言われたかった言葉
結局のところ、私はどんな返答を
期待していたかと言うと
- それは大変だったね
- 今まで気付かなくてごめん
- そっか分かった、大丈夫だよ
- どうするか一緒に考えていこう
こんな類いの言葉だよね。だって根底にある心の本音は、「わたし」を末長く受け入れたいですよって意志の、確証な訳だから。
こんな、仏様もびっくりな素敵フレーズ
発達云々関係無しに最愛の人に言われたら嬉しい言葉なのは間違いないし、
仮に「ADHDの衝動性は、脳の前頭前野から放出される神経伝達物質の再取り込み機能が関係しているんだよね!まあ俺には関係ないからどうでも良いけど」なんて返されても、それはそれで自分は納得しなかっただろうし。
要は
望んでいた反応と違ったからイヤだった
これだよね。これだけだよね。
(わがまま~)
しかもどうせなら素直に
心配だから伝えたいんだって言えば良いものを
プライド武装満載で、
頭の本音=「障害を理解しろ!」なんて建前でぐるんぐるんにして差し出すところがもうね。そりゃあ受け手側も、反論の一つや二つ言いたくなっちゃうわ。
どれだけ「頭の本音」の理論武装が完璧でも
「心の本音」と言うか、
「あなたの思いはどうでも良いから、とりあえず“私”を受け入れてくれる?」って【姿勢】は見透かされちゃうんだろうね。
冒頭にも書いた通り、これら全部
「わたし」が主語の話だけで彼側への寄り添いを感じさせる要素は皆無だからね。
そんな姿勢で、自分の要望通ると思う?
(三年前の自分に問いたい)
と、こんな感じで
カミングアウトが失敗した根底にあったのは
そもそもの目的が「都合良く私を受け入れてくれ」であって、
その建前として「障害」という診断名をくっつけていただけであって、
その姿勢が彼に受け入れられなかったから。
というのが三年経った今だからこそ思う
自分なりの考察結果。
カミングアウトの「方法」が失敗だったと言うよりか、そもそもの「ゴールや目的」の設定段階で失敗だったんだろうね。
で、
大事なのはここからの後日談であって、
この大失敗からあれこれ悩みに悩み
私はそもそものスタンスを転換した。
で、紆余曲折を経て「彼側の視点」を少しずつ教えてもらいながら折り合いをつけていく訳なんだけど、ロングロングな話なので、それはまた次の記事で。
「実際のところどうカミングアウトするのがベストなのか?」
「そもそも障害理解って何なのか?」
「パートナーに伝えてはいけないのか?」
等々、三年前の自分が分からず涙した色々話の結論についても、後日談ふまえて書いていくね。そのうち。